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樹雪23

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よみびとしらず

高野切3種紀貫之伝書を長さ50mのかみの上をまる1日をかけ一気に書き上げていく。
筆が出す線は身体の動きと脳と心の連結を連動させながら生産されていく。
書は思考と心の表現を突き詰めるものが造形されている。 書き進める中で入り込む場合に生じる「無意識かつ無心」のラインにおいて心の線がでてしまう。作品という意図的かつ意識的な部分とそうでないもの。またその違い。言い方としては陰陽とでもいい。
線と流れを追ううちに「心をかいてしまっている」。空間を埋めるうちに「意識を載せてしまっている」。
「文字という意思伝達の手段の言葉」を超えたところの書き手がでている。その2つは1つの中に混在しているように生み出された書の中で存在する。
書道の本来の憎らしさはそこにあるという事だといえる。 
字形を眺めるとラインはそのときの書き手の「リズムをつたえている」 臨書という事を書道では永遠と実施する、そう修行のごとく臨書(書いてあるラインを読みまねる/書いてあるリズムや作品感をまねてかく)これを長年続けるうちに見えてくるものがあるとすると「思考」「心」このあいまいな2つが見えてくる。そしてソレが見えれば見えるほど自分がさらけ出されていることが理解できる。書によって「インプット」と「アウトプット」、作り出されたものとの「対話」ができる。 人でなくてもいい、それが「どう感じているのか」という事も信号的なものかもしれないとおもう。 結果、書のリズム感、素直さ、強引さ弱さ、スピード感、白黒のラインを臨書するたったこれだけの作業で、その先のものがあるみえてくるそこが本来の書の面白みと進化できる点。 書がわかりにくくも、退屈なような「臨書」をするのは、ことでこの感覚を上げることが出来るからという方向をもっている。
服の生地やダンスのライン、音のライン、空間・幅、それらすらも人間の心との翻訳なんだか最近かんじている事。


個展開催にあたり作家とギャラリーの印を変体仮名にてELワイヤーにてしたためる。 ※http://232323.biz/056.html


 

Febuary.2017 - inabanousagi

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